Masuk美咲と悠はトイレエリアから離れるために歩き出した。
また先ほどの霊に出くわすのだけは避けたかった。
デパート館内は薄暗く、ところどころ非常灯の光がぽつぽつと床を照らしている。
美咲は、這いずり女のビジュが頭にこびりついていて、
振り払おうと何度も小さく首を振った。
(もう、忘れる! 忘れたい! 忘れて!!)
自分で自分に言い聞かせながら、
美咲は必死に“楽しいこと”を考えようとする。
そういえば……と、横を歩く悠に話しかけた。
「ねぇ悠、前に“休みの日何してるの?”って聞かれたじゃん?
悠はいつも、お休みの日なにしてるの?」
「俺はね〜、料理にハマってる!
動画見て美味しそうなやつ作ってみたり、外国の料理作ってみたり!」
悠が楽しそうに話す。
美咲は予想外の回答に目を丸くした。
「料理?!! 意外なんだけど…! すごいね! 最近は何作ったの?」
「マッケンチーズ!」
「……んん?! 何て?!」
「マカロニ&チーズってやつで、アメリカでよく食べられる料理だよ。
色んな人が作ってる動画が上がっててさ。作り方も様々で面白いし、とにかく美味い!」
「マッケンチーズって初めて聞いた!
マカロニ側だけ名前崩しすぎじゃない? でも、確かに美味しそうだね!」
「実際美味しいんだよ! 結構有名だけどな〜、マッケンチーズ!」
「“マッケンチーズ”って言いたいだけに聞こえるけど……」
美咲がクスリと笑った。
「確かに」と悠も笑う。
「でもほんとマッケンチーズおすすめ!
あと料理以外だと、休みが合ったらターボーとバドミントンやってる!」
「ターボーと仲良いなぁ! てかバドミントンて! 高校でやったのが最後だよ……」
「久しぶりにやると楽しいんだよ。今度美咲もやろう!」
悠が笑顔で明るく話すと、不思議と薄暗いデパートの雰囲気も
少しだけあたたかくなったように感じた。
美咲も、さっきまで引きずっていた恐怖を一旦忘れて、
心から楽しんで笑えるようになっていた。
ふっと上を見上げると、頭上の看板が照明に照らされていた。
『キッズわくわく鏡迷路』
その看板を見た瞬間、悠の目が輝いた。
「この鏡迷路まだあったんだ! 懐かし〜!
小学生の時、ターボーと毎回来て、入って出てを繰り返してたんだよ!!」
「……何その遊び方、狂気を感じるのよ……」
「俺のがいつもゴール早かったんだよ。
ちょっと入ってみようぜ!!」
勢いよく、ズカズカと鏡迷路に入っていく悠。
フードコートで怖い体験をしていない悠は、
夜のデパートになぜか妙にテンションが上がっていた。
「いや待って! 入るの?!
鏡迷路とか、絶対こわいやつ……!?
あたしさっき………」
さっき——足から血を流した女性に追いかけられたのに。
口に出すと鮮明に姿を思い出してしまいそうで、美咲は口をつぐんだ。
鏡迷路。昔ならともかく、今は入りたくない。
けれど——一人になるのはもっと嫌だ。
(……仕方ない……
またさっきの女が出て来ても嫌だし……)
結局、美咲は急ぎ足で悠に続いた。
⸻
鏡迷路の中は、閉館後のデパートとはまた違う種類の薄暗さで、ひんやりとしていた。
鏡が複雑に角度を変えて並んでいる。
美咲は少しビクビクしながら、なるべく伏し目がちで悠についていく。
「うわ……夜の鏡迷路こわ……
絶対子どもの時なら泣く……」
「懐かしい〜! ここ曲がるとすぐ出口なんだよ。」
怖がる美咲とは裏腹に、悠は懐かしさではしゃいでいる。
美咲は悠を“盾”にするように、その背中の少し後ろを歩いた。
「何で悠は怖くないのよ……」
「何回も入ってるから慣れてるんだよ。ほら、出口見えてきた。」
悠が出口を指差した瞬間——
美咲は、何気なく目の前の鏡に視線をやって、違和感に気づいた。
鏡越しに、
自分たちの頭上に“白い手”が伸びている。
美咲は思わず声を漏らした。
「……え?」
そして、ゆっくりと後ろを振り返る。
だが、何もいない。
前を見る。
鏡の中だけ、白い手が“ぶら下がっている”。
「悠、ちょ、ちょっと待って……
何か……上……!」
「え? なに? 美咲どうかした?」
悠も振り返ろうとした、その瞬間。
鏡全体が震え——
バンッ!! バンバンバンバンッ!!
血のついた手形が、
一面に、一気に貼り付いていく。
美咲は思わず目をぎゅっと瞑り、耳を塞いだ。
「ちょっ……やばっ……!」
「美咲、大丈夫か? また何か出てる?
……よく見ると鏡、揺れてるか?」
悠は美咲の異変に気付き、鏡に顔を近づけて覗き込む。
美咲は、恐る恐る目を開けて悠を見上げた。
悠は、不思議そうな顔で鏡を見ている。
悠の目の前の鏡にも、手形は“ついている”のに。
鏡迷路の鏡は、
どんどん血の手形で赤く染まり始めている。
「……悠、なんも聞こえないの?! この音。
あの鏡にたくさんついてる手形、見えない?」
「手形……? 何もついてないよ?
ただ、なんか振動があるかな……ほら、鏡は普通に俺たちが映ってるだけだよ。」
悠の視線の先を、美咲も追う。
そこには、鏡迷路に設置された淡いライトに照らされた鏡。
赤く染まっていく鏡の中に二人が映っているようにしか、美咲には見えなかった。
(悠には本当に見えてないんだ……
手形が付く時の振動で鏡が揺れてる事だけは分かってるのか……)
二人の“見えている世界”が違うことを理解した美咲は、
少しだけ冷静さを取り戻し、鏡の中の“自分”を見た。
赤い手形の隙間に、微かに見える自分の顔——
そして気づいた。
鏡の中の美咲は、
ニタァ……と笑っていた。
美咲は笑っていない。
むしろ、恐怖に引いているくらいだ。
なのに。
美咲は言葉を失って固まった。
……けれど、不思議なことに、恐怖よりもほんの少しだけ好奇心が勝った。
横の鏡にも目を向けてみる。
左右の鏡に映る“もう一人の自分”は、
反対側を向いていて、目が合わない。
悠の鏡像だけ、なにも変化がない。
“鏡の異常”は、美咲だけに起きていることが分かった。
「なんで!? なんで私だけ!?」
「?! ビックリした、急に何言ってるの美咲。」
突然叫ぶ美咲に、悠は驚いた。
そして、急に「うっ」と唸り声を出してお腹を押さえる。
「なんか、ヤバい気がする……!!」
「悠にも手形見えた? こっからどうしよう?! ねぇ——」
赤い手形が四方八方に付いていく中、
美咲はどう動けば良いのか、出口に向かって良いのか、ぐるぐる悩んでいた。
悠の顔はみるみる青ざめ、
冷や汗が頬を伝っていく。
「……やばい! 行くぞ、美咲!!」
急に美咲の手を掴んで、
悠は全力で走り出した。
「わ、ちょっと、悠? 何急に?!」
「腹よ!!」
「……腹?!」
全力疾走で鏡迷路を駆け抜け、
出口に飛び出した瞬間——
ゾクッ……
背中に刺さる嫌な気配に、美咲は振り返った。
鏡迷路の中で、
“こっちを睨む目”があった。
ジトッ……とこちらを見ていた。
「……悠、鏡から何かがこっち見てる……!」
「ごめん、俺! トイレ!! 後で聞くから美咲は待ってて!!」
「嫌だけど!? ……って、もう行っちゃった……」
美咲の問いかけに返事する間もなく、
悠はそのまま走り去っていった。
残された美咲の肩に、
冷たい空気がまとわりつく。
鏡の奥から、
なにかがまだ、こちらを見ている気がしたが——
もう、美咲は振り返らなかった。
鏡迷路から逃げて、悠がトイレへ走り去ったあと、デパート内は静寂に包まれていた…美咲は一人きりも嫌だったが、トイレの側で待つのはもっと嫌だった。最初の恐怖がフラッシュバックするからだ。扉から垂れてきた足…這いずる女…美咲はブルッと身震いし、首を横に振った。考えちゃダメだ……と無理やり意識をそらす。一人になると、一気に疲れが込みあげてきた。(どこか……座りたい……)見渡すと、先ほど悠と軽食を食べたフードコートがある。美咲は周囲を警戒しながらゆっくり歩き、鏡迷路に背を向けて、椅子にストンと腰を下ろした。ふぅ〜……っと長い息が漏れ、身体が沈んでいく。鏡迷路を出たあとも、胸の奥のざわつきは消えなかった。あの白い手、鏡に貼りつく血の跡──そして、自分だけが“視えていた”という事実。最後に背中に刺さった、あの視線。思い返すだけで、身体の芯がまだ震えていた。(……なんで、私だけ……?)無意識に両腕をさすりながら、美咲はふと気づく。デパートに入ったときに目に入った、あの“通り魔事件”の張り紙。胸の奥が暗く沈んだ、あの嫌な気配。(まさか……本当に関係してる……?)認めたくなくて、ずっと考えないようにしていた。でも、這いずり女も鏡迷路の出来事も──無関係と言い切れなかった。(……調べなきゃ)美咲は深く息を吸い、震える指先でスマホを開く。デパートに入る前から続いていた違和感。事件の張り紙を見たとき胸に落ちた黒い重さ。それが今の怪異と一本の線で繋がるようで──(噂のままで終わらせたら……ダメだ)美咲は画面をスクロールした。“あの事件の本当のことを知らないままじゃ、前に進めない気がした。”検索結果に、見覚えのあるタイトルが表示される。『199X年●●デパート通り魔事件』「……これだ。」美咲はゴクリと息を呑んだ。地元で起きた最大級の事件。幼いころ、断片的に耳にした断片だけが記憶に残っている。『人が亡くなったらしい』『犯人が逃げたらしい』そんな噂話だけが、自分の周りを飛び交っていた。両親も詳細は話さなかった。知らなかったからなのか、子供に話せない内容だったのか──今となっては分からない。美咲は記事をタップした。「……っ」喉が固まり、息が止まる。画面には、無表情の男が写っていた。ジトっとしたこの目…さ
美咲と悠はトイレエリアから離れるために歩き出した。また先ほどの霊に出くわすのだけは避けたかった。デパート館内は薄暗く、ところどころ非常灯の光がぽつぽつと床を照らしている。美咲は、這いずり女のビジュが頭にこびりついていて、振り払おうと何度も小さく首を振った。(もう、忘れる! 忘れたい! 忘れて!!)自分で自分に言い聞かせながら、美咲は必死に“楽しいこと”を考えようとする。そういえば……と、横を歩く悠に話しかけた。「ねぇ悠、前に“休みの日何してるの?”って聞かれたじゃん? 悠はいつも、お休みの日なにしてるの?」「俺はね〜、料理にハマってる! 動画見て美味しそうなやつ作ってみたり、外国の料理作ってみたり!」悠が楽しそうに話す。美咲は予想外の回答に目を丸くした。「料理?!! 意外なんだけど…! すごいね! 最近は何作ったの?」「マッケンチーズ!」「……んん?! 何て?!」「マカロニ&チーズってやつで、アメリカでよく食べられる料理だよ。 色んな人が作ってる動画が上がっててさ。作り方も様々で面白いし、とにかく美味い!」「マッケンチーズって初めて聞いた! マカロニ側だけ名前崩しすぎじゃない? でも、確かに美味しそうだね!」「実際美味しいんだよ! 結構有名だけどな〜、マッケンチーズ!」「“マッケンチーズ”って言いたいだけに聞こえるけど……」美咲がクスリと笑った。「確かに」と悠も笑う。「でもほんとマッケンチーズおすすめ! あと料理以外だと、休みが合ったらターボーとバドミントンやってる!」「ターボーと仲良いなぁ! てかバドミントンて! 高校でやったのが最後だよ……」「久しぶりにやると楽しいんだよ。今度美咲もやろう!」悠が笑顔で明るく話すと、不思議と薄暗いデパートの雰囲気も少しだけあたたかくなったように感じた。美咲も、さっきまで引きずっていた恐怖を一旦忘れて、心から楽しんで笑えるようになっていた。ふっと上を見上げると、頭上の看板が照明に照らされていた。『キッズわくわく鏡迷路』その看板を見た瞬間、悠の目が輝いた。「この鏡迷路まだあったんだ! 懐かし〜! 小学生の時、ターボーと毎回来て、入って出てを繰り返してたんだよ!!」「……何その遊び方、狂気を感じるのよ……」「俺のがいつもゴール早かったんだよ。 ちょっと
先ほどまでは閉館作業で慌ただしかった館内だったが、気づけば、人影がじわじわと少なくなっていくのを美咲はスマホを片手に眺めていた。客はもう、ほとんど帰ってしまったらしい。従業員は各フロアを巡回し、確認し終えた店舗から順に盗難防止用のカーテンが、シャッ……と降りてゆく。美咲は、ひとりだけ取り残されたような感覚になり、胸の奥に不安がゆっくりと広がっていくのを感じた。その時——パチン。館内の照明が、わずかに一段暗くなった。「わっ……ビックリした。」突然の変化に、美咲は思わず声を漏らす。館内BGMがふっと途切れ、最後の音の残響だけが耳の奥でゆらりと揺れた。その静けさの中で、美咲は小さく呟く。「悠……まだ……?」トイレの入り口からは何の気配もない。美咲は不安になってソワソワし出した。(ほんとにあのトイレにまだいるのかな? あたしがスマホ見てる間に出てきて、もう外に行ってるかも……)トイレの前まで行って声を掛けてみよう。そう思い、一歩踏み出した瞬間——ガシャン、ガシャン。シャッターの降りる音が、店の奥から響いた。従業員たちが帰り支度を始めている。「あ、ちょっと! まだいます!」美咲は焦って声を上げるが、その声はシャッターの金属音にかき消された。バタン。最後の扉が閉まる。美咲は、静まり返った館内にひとり取り残された。(え〜……いくら田舎とはいえ、客を残して帰るとか許されるの?)信じられない、と憤慨していると、そのすぐ背後で、“何か”が動いた気がして振り返る。……誰もいない。デパートの館内は、秋の終わりとは思えないほど冷え込んでいた。「……寒っ。外じゃないのに?」空気の奥からじんわり滲んでくるような、“底冷えの冷たさ”が肌を刺す。(閉館したから暖房消したのかな…… それとも、これ、なんか別の要因の……)美咲はぶるっと身震いをし、無意識に両腕をさすっていた。(さっきの従業員さん……何か言いかけてたよね……?)美咲は一度だけ深呼吸をし、暗く静まり返った男性トイレへ、ゆっくりと足を向けた。⸻悠が入っているであろう“唯一閉まっている個室”の前に立ち、美咲は扉に向かって呼びかけた。「悠ー? まだー? デパート閉館しちゃったよー?」返事がない。目の前で声を掛けているのに……。(ドアが閉まっ
自動ドアを抜けた館内は、思ったより静かだった。かつては子ども連れであふれていた1階フロアも、今は買い物客がまばらに歩いているだけ。秋の終わりとはいえ、まだ日暮れ前。それなのにここまで人が少ないことに、美咲は少し驚いた。(……こんなに静かだったっけ?)小学生の頃の賑やかなデパートが鮮明によみがえる。毎週のように家族で来ては、必ず誰かに会う。誰に会ったかを月曜日に話題にしたり、古いプリクラ機の前に列を作ってワイワイしたり。大人にとってはただのショッピングモールでも、当時の美咲たちにとっては“社交の中心”だった。色の褪せた壁紙を見つめながら、美咲は思う。(……デパートも、私たちが大人になる間に、同じだけ歳を取ったんだな)フードコートへ向かおうと歩き出したとき。美咲の視線が、古い掲示板に吸い寄せられた。端には、色あせた一枚の張り紙。『199X年 館内にて通り魔事件発生 お客様にはご協力いただきありがとうございました』「……あ。そういえば、こんな事件あったな」声に出してみて、ようやく思い出す。あの頃、地元中がざわついた“あの事件”。数メートル先にいた悠が、足を止めた美咲に気付き振り返る。「おーい美咲! 早くフードコート行こうって! 俺トイレ二回済ませてきたから、お腹空きすぎて死にそう!」「もう! そんなの大声で言わなくていいから!!」美咲は呆れながら、小走りで悠に追いついた。美咲は気づいていなかった。この時点で、すでに“七不思議”は美咲を見つけていたことを。⸻フードコートでは、お互い好きなものを注文し、食事をしながら他愛ない会話を楽しんだ。「そういえば美咲って、休日は何して遊んでるの?」「最近は山登ったり、神社巡ったりかな。」「神社巡りかぁ。今流行ってるよな。」「なんかね……落ち着くの。 昔からちょっと“敏感”でさ。 だから神社に行くとスッとするっていうか……」「美咲って、そういう感覚あるよなぁ。 ターボーが言ってたもん。 『美咲って怒ると迫力すごいし、霊とか寄ってこなさそう』って。」「誰よターボー……あぁ、あの足速かった子?」「そうそう。今や俺の腹痛の相談相手。」「どんな友情?」「ターボー言ってたぞ。 『美咲って、委員長っぽい顔してる』って。」「なにそれ! どんな顔よ!?」悠は笑い
地元の駅に降り立つと、懐かしい空気がふっと肌を撫でた。「うわぁ、帰ってきたって感じする……」商店街の匂い、少し低めの建物。街全体が、昔のまま時間を止めているようだった。背後から肩を軽く叩かれる。「よっ」振り返ると──篠原 悠がいた。少し大人びた雰囲気、整った髪、優しい笑み。見た目だけなら少女漫画の“いい男”そのものだ。「久しぶり、美咲」(えっ……普通にカッコよ……)と思ったのも束の間。「今日腹の調子が朝から最悪でさ。ここ来る前も一回ヤバくて、遅刻するかと思って焦った〜!」カッコいい顔で言う内容じゃない。美咲は一瞬で現実に引き戻されるような、なんとも言えない表情になった。(……あぁ、そうだ。この感じ。“残念イケメン”って呼ばれてたなぁ。)久しぶりに会う同級生女子に二言目でトイレ話題を出すとは……その懐かしさに思わず吹き出してしまった。「? 何笑ってるんだよ、美咲!」「…何でもない! 久しぶり、悠。元気してた?」美咲が微笑むと、悠は一瞬言葉に詰まり、照れたように視線を逸らした。「…あぁ。美咲も元気そうで良かった。 じゃあ、行くか?」耳が赤くなるのを隠すように、髪を直すふりをして。「うん! 地元は夏以来だけど、あのデパートはもっと久しぶりだから…楽しみにしてたんだよ。悠はよく行くの?」「いや、俺も久しぶりだよ。車持つようになってからはアウトレットとかモール行くからさ。」「車あると便利だよね〜。あたしも駐車場さえあれば買うのになぁ。」「美咲は電車で事足りるからいらないだろ。維持費とか大変だぞ。」「ガソリン代も高いもんねぇ。でも好きなとこにパッと行けるのは羨ましいよ〜!」自然と続いていく会話。久しぶりとは思えないほど心地よく、二人は胸を弾ませた。今日は楽しい時間が過ごせる気がする。── 「優しいって……じいちゃん達に言われるのとは違って、美咲に言われるのは……なんか照れるな!」その表情に、美咲もふっと視線を落とした。(こういうところ、昔のままだな……)優しくて、照れ屋で、笑うと無邪気なところ。小学生の頃の記憶が鮮やかに蘇る。やがて、目的地であるデパートが見えてきた。外壁の茶色いタイル、少し古い看板──全てがあの頃のまま、時間が止まっているように見える。「懐かしいなぁ。昔、ここの本屋で立ち読み
電車が揺れた瞬間、手の中のスマホが震えた。『あなたと相性度90%の相手をご紹介します』と通知が表示された。仕事帰りの疲れきった体を、ガタンゴトンと小刻みに揺らされ、車内の暖房によって体を温められた美咲は、必死に眠気と戦っていた。眠気交じりにスマホ画面に目をやった美咲は、何も期待する事なく『表示する』をタップする。(ああ、いつもの“ピックアップ表示”ね…)今までも何度か表示されたが、「いいね」を押したくなる男性が出てきた事はない。しかし、今回は違った。美咲はスマホに表示された写真を見た瞬間、固まった。YU.S──29歳。「……え?」車内で自分だけなのに、思わず声が漏れてしまい、誤魔化すように咳払いをした。美咲はもう一度、スマホ画面に目をやった。プロフィール詳細をタップして、更なる情報を確認する。登録写真には夕日を写した風景写真もあった。それは美咲の地元で有名な、夕日スポットだった。名前はイニシャルだけだが、分かった。この横顔、この笑い方。彼とは小学校も中学校も、数回同じクラスだった。“残念イケメン”という称号を持つ、元同級生。——篠原 悠。見た目は昔から整っていたけれど、時々見せる残念な言動が絶妙で、教室をふわっと明るくするタイプだった。アプリの中の悠は、当時のあどけなさを残しつつ、きちんと“大人の顔”になっていた。(悠もこのアプリ使ってたんだ……)懐かしさと気恥ずかしさが入り混じり、美咲は無意識に唇を噛んだ。写真の悠は、笑っているのにどこか影があって、「昔と同じなのに、昔よりかっこいい」そんな矛盾した感情が胸をくすぐる。美咲はスマホを閉じ、窓に映る自分の顔をちらりと見た。マスク越しでも、少し疲れているのが分かる。(……大人になるって、こういう“余裕ない感じ”なんだなぁ)営業職になって六年。仕事は嫌いじゃないけれど、残業の日が続き、帰れば倒れるように眠るだけ。少し早く帰れた日だけが小さなご褒美で、コンビニの缶チューハイとお菓子が、密かな癒やしになった。休日は山に登ったり、神社に行くようになった。自然の空気や鳥居をくぐる瞬間が、胸のざわつきをそっと静めてくれる。(そろそろご朱印帳買いたいんだよな……)そんな日々を過ごすうちに、気づけばもうすぐ三十歳。「結婚しなきゃ」と焦っているわけじゃな